「おそ松さん」にみるモラトリアムとの向き合い方

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テレビアニメ「おそ松さん」
放映終了後しばらくたつが一部ファンのみならず、「松クラスタ」なる用語が現れ、ちょっとした社会現象まで引き起こし、多くの若者にその影響を残した最近まれにみる作品と感じている。
「おそ松さん」は赤塚不二夫原作の「おそ松くん」から数十年後、成人した「六つ子」の成長と生活環境、人間模様を描いた作品である。
アニメ「おそ松くん」時代は「イヤミ」「チビ太」といった個性的なキャラクターが目立ち、ギャグ中心で「六つ子」の個性の部分はそんなに描かれていなかった。
今回の「おそ松さん」は、ギャグ中心であることは変わりないが、六つ子それぞれの個性がしっかりと描かれており、現代に「いかにも存在しそうな」人物像で、それぞれの個性をぶつけ合う家庭環境の中、それぞれが成長をしていくというヒューマンコメディ作品になっている。

私がこの作品を見ていてまず思ったことは、6人いるそれぞれのキャラクターに、自分の「一面」を見出すことが多々あったという事だ。「無責任な責任感」「投げやり」「カッコつけ」「逃避」など、それぞれの個性がデフォルメされている部分に、かなり「共感」できた。作品を見る中で「そういえば俺もそんなところあるな~」などと、六つ子を客観的に見ながら自分自身の姿と重ね、自己理解を進めた場面もしばしばあった。そんな共感できる部分が心地よく、作品の世界観に引き込まれた。

作品の中で、六つ子たちの性格や思考について描写をしている部分から感じたことは、六つ子たちが現状でモラトリアムの時期をしっかりと謳歌し、自分のアイデンティティを確立しようと必死になっている姿が涙ぐましくもあり、応援したい気持ちになった部分だ。

どんな環境であろうと、一生懸命誠実に生きようと考え行動をすることで人生は切り開ける。悩み、もがく時期は必要だし、その時期はつらいことも多いと思うが、自ら取捨選択し、前へ進む一歩をやめなければ、いつか成長した自分を感じることができる。
私自身、今だ一部分のモラトリアムが続いていることを自己認識しているが、もがき、悩みながら、自分が正しいと思う選択を信じて、一歩でも半歩でも前に進むようにしている。その先には、成長できた自分がいて、自分を誇りに思える瞬間があることを知っているから。

六つ子たちも、いつかモラトリアムから抜け出し、納得できる生き方ができることを切に願ってやまない。

文責:長谷川 和信